『太平記』史跡探訪

奈 良


般若寺

所在:奈良市般若寺町。近鉄奈良駅下車。バス奈良坂行きに乗り般若寺で下車。

大塔宮護良親王が潜伏した寺。(『太平記』巻5、大塔宮熊野落ちの事にでてくる。)敵が来たときに唐櫃に隠れて難を逃れた話は有名。そのときのものと言われている唐櫃が公開されている。

談山神社

所在:桜井市多武峯(とうのみね)。近鉄・JR桜井駅よりバス、終点談山神社下車。

後醍醐天皇が寄進した石灯籠がある。それだけなんだけどねー。ここは紅葉の時期がGood!けまり祭(4/29と11月の第2日曜)が有名。それを見るついでにどうぞ。

内山永久寺跡

所在:天理市。近鉄・JR天理駅下車。

駅を降りて石上(いそのかみ)神宮に向かって歩き、神宮に着いたら右に曲がる。そのまま歩くと、碑が立っている。後醍醐天皇が吉野に向かう途中、追手に悟られないように馬の首を落としたところ、その首が馬魚になったという伝説の池がある(天理市観光ガイドより)。それだけです。石上神宮へ行くついでにどうぞ。でも何にもないところです。

吉野神宮

所在:吉野町吉野山。近鉄吉野神宮駅下車。バス停は吉野神宮。

後醍醐天皇が祭られている。休憩所に「後醍醐天皇笠置遷幸の大絵馬」が飾られている。また摂社には日野資朝、俊基などが祭られている。4月の第3日曜日に春の大祭(建武中興記念祭)、9月27日に秋の大祭(後醍醐天皇崩御の日を新暦に直した日)が行なわれる。

村上義光の墓

所在:吉野町吉野山。近鉄吉野駅からロープウェイ。バス停は下千本。

ロープウェイから吉野神宮の方向に歩く。村上義光は大塔宮護良親王の股肱。護良親王の身代わりとなり、蔵王堂で死んだ。

蔵王堂

所在:吉野町吉野山。近鉄吉野駅からロープウェイ。バス停は下千本。

吉野山のなかで一番目立つ建物。蔵王堂の正面の庭に、「大塔宮御陣地」と書いた碑が立っている。また南側の階段を上ったところに、「村上義光公忠死之所」と刻まれた碑がある。

後醍醐天皇導きの稲荷

所在:吉野町吉野山。近鉄吉野駅からロープウェイ。バス停は下千本。

蔵王堂正面階段の右脇に建っている。小さいけど赤い鳥居があるからわかるかな?

吉野朝宮址

所在:吉野町吉野山。近鉄吉野駅からロープウェイ。バス停は下千本。

蔵王堂から脳天大神の方に行くと見つかる。「吉野朝宮跡」と書かれた大きな碑と南朝の天皇の歌を刻んだ6角柱の碑がある。後醍醐天皇は吉水院(今の吉水神社)に一旦入ったが、手狭だったので、ここに皇居を置いた。

吉水神社

所在:吉野町吉野山。近鉄吉野駅からロープウェイ。バス停は中千本。

もと吉水院。明治の廃仏毀釈の影響で神社に変わった。祭神は後醍醐天皇。後醍醐天皇玉座、後醍醐天皇直筆の文、後醍醐天皇愛用の笙などを展示している。ほかにも源義経が潜伏していた部屋など見所がいっぱい。ぜひここは訪れましょう。

村上義隆の墓

所在:吉野町吉野山。近鉄吉野駅からロープウェイ。バス停は中千本。

勝手神社の前で道が分かれる。その右の道を1kmほど行くと、右手にひっそりと建っている。村上義隆は義光の子。吉野城落城の際、大塔宮護良親王を無事に落ちのびさせるために戦い戦死した。

建武中興600年記念碑

所在:吉野町吉野山。近鉄吉野駅からロープウェイ。バス停は中千本。

勝手神社の前の道を左にとり、如意輪寺の方にいくとこの碑がある。昭和8年に立てられた。これは当時盛んだった皇国主義の一環。

如意輪寺

所在:吉野町吉野山。近鉄吉野駅からロープウェイ。バス停は中千本。

『太平記』に楠木正成の子、正行が四条畷の合戦に赴くとき、如意輪堂に辞世の歌を書き残したとある。これがこの如意輪寺。辞世の歌を書いた扉が宝物館にて展示されている。他にも後醍醐天皇が使用したとされるの硯箱、念持仏も展示。庭には楠木正行が髻(もとどり)を埋めた塚がある。

後醍醐天皇陵

所在:吉野町吉野山。近鉄吉野駅からロープウェイ。バス停は中千本。

如意輪寺から階段を登っていくとある。周囲は緑で囲まれていて、しーんと静まりかえっている。神聖な雰囲気。『太平記』で、後醍醐天皇の遺言に従って北向きに陵を築いたと書かれているが、その通り北向きに建てられている。

後醍醐天皇御慰霊詩碑

所在:吉野町吉野山。バス停は上千本口。

竹林院を越え、天王橋を左に折れ、次の分岐を山側(右)に行くと、右手の丘に休憩所がある。その丘の下にこの碑がある。『太平記』で、後醍醐天皇が笠置から落ちのびる際、万里小路藤房と歌をかわしているが、それを題材とした詩が書かれている。

大塔宮仰徳碑

所在:吉野町吉野山。バス停は上千本口。

後醍醐天皇御慰霊詩碑の立つところから丘を越えるとこの碑がある。昭和14年に立てられた。この碑が立っている丘は吉野城の火の見櫓であった。

宗信法印の墓

所在:吉野町吉野山。バス停は上千本口。

大塔宮仰徳碑からさらに道を進めると左側にある。宗信法印は吉水院(今の吉水神社)の僧であった。後醍醐天皇が吉野に皇居を置こうとしたとき、宗信法印が反対する吉野山の僧たちを説き伏せたため、無事に皇居を置くことができた。

後醍醐天皇御幸の芝

所在:吉野町吉野山。バス停は上千本口。

宗信法印の墓からさらに坂を登ったところにある。後醍醐天皇が吉野の皇居にいたとき、この辺りに出かけると雨が降ってきた。そこで「晴れよ!」という意味の歌を詠んだところ、からりと晴れたという『吉野拾遺』の話があり、その歌碑が立っている。

北畠親房の墓

所在:吉野郡西吉野村湯塩。JR和歌山線五条駅。

賀名生(あのう)梅林の近く。五条駅から国道168号線に沿って8kmほど進む。山の上の方にある。天皇陵に匹敵するほど大きな墓です。

大塔宮黒木御所跡

所在:吉野郡十津川村谷瀬。

国道168号線を進む。谷瀬のつり橋を渡りきったところにある。「黒木」とは丸太造りの小屋という意味。護良親王がこの辺りに潜伏していたころ、竹原八郎入道・戸野兵衛の保護を受け、ここに黒木御所を建てた(『太平記』巻5)。谷瀬のつり橋観光のついでにどうぞ。

護良親王御詠碑

所在:吉野郡十津川村高滝。

国道168号線沿い。十津川温泉の近く。大森山と斧山の間の谷にある。ここより少し南下すると玉置山がある。護良親王を攻めた玉置庄司(『太平記』巻5)はこの辺りの人だろう。



『太平記』史跡探訪に戻る

きゅーchanのほーむぺーじに戻る



This page is produced by Yuko Nakai.

Mail address: kyuukyuu@moon.co.jp

inserted by FC2 system