『太平記』史跡探訪
深田庭園 |
所在:米子市。米子駅からバス大山寺行きで車尾(くずも)小学校北口下車。徒歩10分。 車尾小と梅翁寺の間を抜けて歩くと見えてくる。隠岐に流される後醍醐天皇を迎えるため豪族深田氏が造った庭園。山陰に現存する庭園の中でもっとも古い。 |
名和神社 |
所在:西泊郡名和町。JR山陰本線名和駅または御来屋駅下車。 後醍醐天皇隠岐脱出後に活躍した名和長年を祀る神社。地味だけどどっしりとした構えの神社です。名和町は史跡の案内表示が充実しているので、見つけやすい。 |
長綱寺 名和一族の墓 |
所在:西泊郡名和町。JR山陰本線名和駅または御来屋駅下車。 長綱寺は名和氏の菩提寺。寺の中に小さな塔が無数にあるが、これが名和氏一族の墓。名和長年の墓は大きな塔である。 |
御腰掛の岩 |
所在:西泊郡名和町。JR山陰本線名和駅または御来屋駅下車。 港のところにある。岩の上に小さな祠が載っている。これは後醍醐天皇が休息のため腰をかけた岩であるそうだ。 |
元弘帝御着船の碑 |
所在:西泊郡名和町。JR山陰本線名和駅または御来屋駅下車。 港から一筋入ったところにある。元弘帝はもちろん後醍醐天皇のこと。 |
的石 |
所在:西泊郡名和町。JR山陰本線名和駅または御来屋駅下車。 これは見つけにくいかも。地元の人に場所を教えてもらおう。田んぼのあぜ道の中にある。結構大きい石(岩?)である。石が濡れると石の上面に2重の的のような円が現れる。これを使って名和一族が弓の練習をしたという。雨上がりを狙おう。きゅーchanが行ったときは石が乾いてて全く痕跡がなかった。そこで横の溝の水をかけると的が現れた。不思議な石だ。 |
船上山行宮碑・船上神社 |
所在:東泊郡赤碕町山川。JR山陰本線赤碕駅からバス山川木地、徒歩1.5時間。 隠岐を脱出した後醍醐天皇が名和長年の協力を得て、ここ船上山に行宮を置いた。約80日間滞在した。バス停からの坂は東坂または猿坂と呼ばれ、ここで長年は佐々木清高の軍を撃退した。山頂には行宮碑が立てられ、行宮跡には船上神社が建っている。 |
隠岐国分寺 |
所在:隠岐郡西郷町。西郷港からバス五箇役場前行きに乗り国分寺前で下車。 後醍醐天皇が隠岐配流になったときの御座所と言われている。寺の裏側に行在所跡(国指定史跡)がある。寺の本堂では後醍醐天皇関係や国分寺関係の史料を展示している。後醍醐天皇が流されたのは隠岐島の島前か島後かわからない。そのため、後醍醐天皇の御座所とされる所は島前(黒木御所跡)にも島後にもある。 |
黒木御所跡、碧風館 |
所在:隠岐郡西ノ島町別府(島前)。別府港から徒歩5分。 別府港のすぐそば。小高い丘の上に後醍醐天皇がいたと言われる黒木御所跡と後醍醐天皇を祀っている黒木神社がある。丘の下には後醍醐天皇関連の史料を展示している碧風館がある。近くに阿野廉氏の居住跡があるので、行ってみよう。この黒木御所跡は遊覧船国賀海岸めぐりのコースの中に入っているので、そのコースで観光してもいい。遊覧船はモーターボートみたいに早く進むのでとても気持ちがいい。景色も抜群。通天橋など絶景が目白押し!国賀海岸めぐりは超おすすめ! |
仏谷寺 |
所在:美保関町美保関。バス停美保関から徒歩5分。 美保関港から少し山側に入ったところにある。後醍醐天皇が隠岐に渡る前に、行在所として使われた。後鳥羽上皇の行在所にもなった。他にも八百屋お七の恋人吉三の墓がある。 |