きゅーchanの
  ベトナム 旅 行 記



★ 5日目 ★

今日は、ホイアンの町並みを観光する。 ここも世界遺産だよ。

はじめに、養蚕・製糸工場に立ち寄った。
ここでは養蚕から織物・刺繍までを見学できる。
刺繍をしている人の手元をみたら、針を動かすのが早い!早い!
機械のような早さだ。
風景などの写真を見ながら刺繍でそれを再現している。芸術的だなあ。

少しバスで移動したあと、1時間くらいかけてホイアンの町を歩いてみる。
でも、バスから一歩外へ出ると、暑くて体が溶けてしまいそう(泣)
ガイドさんが「今日は最高40度だよ」って言ってたしな〜。

ホイアンの町並みを散策すると、一際派手な建物がある。
これは福建会館で、華僑の人々の集会所だ。

  
左/福建会館の建物の天井からは巨大な赤い線香(何と1ヶ月ももつそうだ)があちこちに吊り下げられている。
これぞ中国!という雰囲気だ。
右/奥の祭壇には航海の守り神の天后聖母がまつられている。


続いて、民家風な建物に入った。
ここは海シルクロード博物館だ。
ホイアンは15〜19世紀にかけて交易の拠点として栄えた町で、
17世紀頃には日本も朱印船貿易でホイアンに進出し、
ここに日本人町を作っていた。
その当時の様子を描いているのが、
日本の商人の茶屋新六が制作させた『茶屋新六交趾国貿易渡海図』だ。
「交趾(こうし)国」はベトナムのことをさしている。
この絵図は江戸時代初期の1610年代後半に作られたと思われるもので、
名古屋にあり、愛知県の県指定文化財になっている。
この絵のパネルは海シルクロード博物館に展示している。

  
左/『茶屋新六交趾国貿易渡海図』。ホイアンの港の様子を描いている。
右に描かれている大きな船が、日本の朱印船で、「300人乗り」って書かれてる。
画面左の建物は貿易商茶屋さんの館だよ。
右/中央上の部分を拡大したもの。
一列に連なって書かれているのが、日本人の家。
2階建ての家が軒を連ねている。


1635年に江戸幕府が鎖国政策をとったため、日本人町は衰退してしまった。
その後、中国の華僑が集住したので、今でも華僑の会館があちこちにある。

海シルクロード博物館には、ホイアン周辺で出土した日本の陶磁器や焼き物も展示している。
また近年のホイアンの移り変わりがわかる写真や地図もあったよ。

続いて、また民家みたいなところに入った。
フーンフン[馮興]の家で、今も住宅として使っているそうだ。
ちょうちんや柱の飾り・家具などが中国風だけれど、
柱や梁・屋根の造りは日本建築の様式が取り入れられている。
さっき行った海のシルクロード博物館も同じような建物だ。
この通りの家はどの家も似たような建て方をしているそうだ。


海シルクロード博物館の2階の屋根。
日本建築っぽい造り。
屋根から下がっている滑車で、1階から2階へ荷物を引き上げた。


通りに沿って歩いていくと、道の真正面にレンガ色の建物が見えてきた。
これが来遠橋(通称、日本橋)だ。
1593年に架けられた橋で、ホイアンに住んでいた日本人が造ったと言われている。


来遠橋。
木造の重厚な造りの橋で、頑丈そうだ。
きゅーchanが立ち寄ったときは、橋の中が団体客で大混雑していたけど
ビクともしない。
まさに“100人乗っても大丈夫!”だ。


  
左の写真は来遠橋の屋根の部分。
屋根の軒丸瓦には、陶磁器がはめ込まれている。
右の写真は、橋の中にある御堂。
橋の中央部分に張り出すような格好で部屋を造り、そこが御堂になっている。
おもしろい造りだなあ。


橋の両端には修理のときに寄付した人の名前と年期が刻まれた碑がはめ込まれていた。
それによると、嘉隆丁丑年(1817)と啓定2年(1917)に修理されているみたい。
嘉隆丁丑年の碑には、来遠橋の由来も書かれていて、
そこに「相伝日本国人所作」と書かれている。
これが、日本人が造ったと言われている根拠なんだろうな。

ホイアンで、ベトナム海鮮料理の昼食を食べてから、バスで移動し、
チャンパ国の聖地であった ミーソン遺跡を見に行った。
チャンパは現在のベトナム中南部を中心に栄えた国で、
中国からは「林邑(りんゆう)」と呼ばれていた。
雅楽の曲の中に林邑楽と呼ばれている曲(抜頭など)があるけど、
そんな曲の発祥の地と思うとちょっと身近に感じるなあ。

ミーソン遺跡は、チャンパ国で信仰されたヒンズー教の聖堂であった。
遺跡の建物は7世紀から8世紀に大半が造られ、13世紀まで建造が続いた。
70棟ほどの建物があったけれども、
ベトナム戦争のときに軍事基地になったため、アメリカから攻撃を受けて、
今では7棟しか残っていない。


ミーソン遺跡の建物の一部。
レンガ造りだ。この辺りはほとんど地震がなかったため、
レンガを積んでいく際に接着剤も使わなかったそうだ。(修復では使っているけど)



一部の建物は中に入ることもできる。
これは建物内部から天井を撮った写真。
結構高いねえ。
それにしてもレンガをうまく積み上げてあるなあ。



草むらのなかに、石がいっぱい転がっているなあ。
と思ったら、みんな砂岩で作られた彫像の遺物だった。
これは、蓮の花の模様が彫られているから蓮台だね。
この上に神像が乗っていたんだろう。


2棟は展示室に改修されていて、中には神像などの彫刻が並んでいた。
隅にはミサイルも展示!ミーソンが攻撃したアメリカの爆弾だ
山深い地に、風化したレンガの建物群が林立している風景は、
何だか異次元の空間に来た感じがするねー。
この雰囲気はこの場所に立たないと味わえない

ミーソン遺跡を見ているとき、珍しく空が曇っているなあと思っていたんだけど、
帰る途中、いきなり雨が降ってきた。
これがうわさのスコールだな!
でも、それほど激しい降りでもなく、数分で止んだ。

これで、今回の旅行の観光は終了。
川辺のオープンカフェのようなお店で夕食を食べたあと、
空港へ向かい、飛行機に乗って日本へ戻った

関西国際空港には朝に着いたんだけど、「大阪って涼しいなあ」と思った。



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