★ 2日目 ★
余裕をもって起きればいいのに、ギリギリになってしまい、
大慌てでホテルの朝食を掻き込んで、バスに乗った。
道端でフランスパンを売っているおっちゃん。
200mくらいずつ間隔を空けて、10何人かがフランスパンを売っている。
ベトナムはフランスの植民地だったから、フランスの影響は大きいな。
でもこのパン、車の排気ガスまみれになってそう…
バスは、世界遺産に認定されているハロン湾を目指して田舎道を走り続けた。
その途中で、バクダン[白藤]河の古戦場の碑のあるところを訪れた。
バクダン河はハロン湾に流れ出ている川で、碑のあるところは川の浅瀬だったところ。
この場所ではベトナムと中国の戦争が幾たびも繰り広げられた。
938年に中国の南漢の勢力を排除しようとしたゴ・クエン[呉権]が決起した。
ゴ・クエンはバクダン河に杭を打ち込み、そこへ南漢の船団を誘い込んだ。
やがて引き潮になり。杭のせいで身動きのとれなくなった南漢の船団を襲い、勝利をおさめた。
中国の元朝の時代には、日本へ2度攻めてきたこと(蒙古襲来)が知られているけど、
同じ頃、元はベトナムにも侵攻していた。
でも元軍は長期遠征になると、食糧の調達がうまくいかず、ベトナムを攻めあぐねていた。
1286年から元軍はベトナムへ3度目の侵攻をした。
このとき、ベトナム軍を指揮していたチャン・クォック・トアン[陳国峻]が、
ゴ・クエンの故事にならい、バクダン河に杭を打ち込んだ(このとき1288年だよ)。
この作戦がうまくいき、元軍は敗れ去った。
元軍はベトナムの侵攻に手こずったこともあって、
日本への3度目の侵攻がかなわなかったとも言われており、
こんなに離れた地の出来事でも日本の情勢とリンクしてるんだな。そう思うと感慨深い。
左の写真に碑が写っている。碑は横文字(しかも英語じゃない)ので、読めなかった。
右側の写真は碑の場所からバクダン河を望む。
昔浅瀬だったけど、今は土が堆積して川ですらない…。
写真の奥に写っている変わった形の岩岩がハロン湾で、
その方向がバクダン河の河口なんだろうけど…。
川だったころをイメージするのが難しいなあ。
いよいよ、世界遺産のハロン湾だ。
港には、ジャンク船のような茶色い観光船がいっぱい。
この中の一艘に乗り込む。
きゅーchanが乗ったのは。食堂船で、船の中でランチがいただける。
海鮮料理に舌鼓を打っていると、「この辺りが見どころですよ」とのガイドさんの声が。
あわててカメラを手に、甲板に出た。
この辺りが“海の桂林”と言われる場所。
岩の感じが変わっているね〜。まさに風光明媚。
右の写真には船の舳先についている龍の飾りをいっしょに撮ってみた。
これは、ハロン湾のシンボルと言われている“夫婦岩”。
ネーミングが日本的だなあ。
確かに夫婦が向かい合っているような感じがするねえ。
ハロン湾の岩のそばで、海に浮かんでいる建物が何棟かある。
これは民家で、こうやって海のなかで浮かんで生活しているんだって。
そんな生活もあるんだね〜。
船が岸についた。
ここにはティエンクン洞窟がある。
下船して、洞窟探検だ。
洞窟の中は涼しいんだろうなあと思ったんだけど、意外に蒸し暑い。
何でだろう?と思ったら、途中に天井から日が差し込んでいる場所があった。
この洞窟は環境が変わったため、もう鍾乳石の成長が止まっているらしい。
鍾乳洞をカラフルはライトで照らしていて、幻想的。
日本では、こんなライティングの鍾乳洞は見たことない。
この鍾乳洞は結構アップダウンが激しい。蒸し暑いのもあって、体力をかなり消耗した。
再び船に乗り、港に戻って、本日の観光は終了。
このあと、バスでハノイに戻った。
ハノイに戻る途中で車窓から川がみえた。
この川がバクダン河だそうだ。今度はちゃんとした川だな。
ガイドさんによると、この場所は2度目の元軍侵攻(1257年)のときに戦った場所だって。
2度目の侵攻のときも、首都のタンロン(今のハノイ)を占拠されて、ベトナムは大変な被害にあった。
でも、元軍は食糧が補給できなくって、撤退した
ハノイに着くころには、夜8時近くになっていた。
おいしいフランス料理を食べてからホテルに戻る。
今日も一日満喫したなあ。
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