きゅーchanの

韓 国 旅 行 記





★ 3日目 ★

木浦って釜山からだいぶ離れているから、田舎っていうイメージがあったんだけど、
結構都会だねー。日本の地方の県庁所在地よりも拓けているよ。
ホテルの設備もいいし、なんてったって日本語が通じるのが良い!
(昨日の夜、部屋のお風呂の蛇口から水が出ない!と思い
(同室の人にも見てもらったけど、やっぱり水が出なかったのだ)、
フロントの人に電子手帳の韓国語会話辞典の「水道が壊れています」の韓国語訳を見せたら、
「そうですか。後で係りのものに見に行かせますので、お部屋でお待ちください」
と完璧な日本語で返された(驚)。
その後、部屋係りの人が蛇口を捻ったら、普通に水が出てきた(なぜだ!)。
きっと、“この客、嫌がらせや〜”と思われたに違いない・・・。)



ホテルの部屋からの風景。大海原が広がっていて、気持ちいい!
船が行き交っているので、船を入れて写真を撮ってみた。

ホテルの朝食は、バイキング形式で、
サラダやパンなど洋食が置かれていた。
きゅーchanは“ここでおなかいっぱいにしておかなきゃ”と
3皿ぐらいに料理盛り付けて、全部平らげた(満腹!)。
朝食中に、別の日本人の団体がやってきた。
きゅーchanの先生と挨拶を交わしているので見てみると、
同じ歴史業界の先生のご一行だった!!
同じ日に韓国にいて、同じホテルに泊まっているとは、
ものすごい偶然だよー。ホント驚いた!!

今日もバスで移動する。
バスに乗った途端、いつものことながら、みんな寝ちゃったので、
1人で車窓の風景を眺めていた。


バスから風景を眺めていると、湖が見えたので、撮ってみた。
この湖は住岩湖というダム湖で、次に訪れる松広寺の近くにあるよ。

景色を眺めているうちに、寺っぽい瓦葺の建物が見えてきて、 今日最初の目的地松広寺に着いた。
ここは禅の根本道場で、
新羅末期にヘリン禅師が創建した吉祥寺を、
普照国師知訥(1588〜1210)が禅の道場として伽藍を整え、松広寺と改称した。
このお寺からは高僧をたくさん輩出していて、
高麗時代には高麗中の寺の半分は松広寺の末寺だと言われるほど繁栄したお寺だったそうだ。


松広寺入口の門。美麗で風情がある。
扁額の金文字が映えるなあ。
額には「曹渓山大乗禅寺松廣寺」と書かれている。

   
中央の写真は、松広寺の大雄殿。
きゅーchanたちが訪れたとき、ここの中にお坊さんが集まって勤行の真っ最中だった。
勤行の美声を聞きながら、松広寺の堂舎を拝観したら、心が洗われるような気がしたよ♪
大雄殿の左右の壁には、6枚のおどろおどろしい絵が掲げられている。
六波羅密っていって、大乗仏教で悟りを得るために6種類の修行の種目があるんだけど、
それを絵にしている
左の絵は「布施」(恵み・施し)を示す絵。右の絵は「智慧」(命そのものを把握)の絵。
他に「持戒」・「忍辱」・「精進」・「禅定」の絵がある。
絵を見てたら・・・修行は相当厳しそうなあ。きゅーchanなら間違いなく逃げちゃうなあ。


大雄殿の左脇に建っている僧宝殿の屋根。
松広寺の殿舎の彩色は非常に細かくて、美しい。
龍の飾りがかわいらしいので、思わず撮っちゃった。

お寺の敷地内に博物館があったんだけど、入ろうとしたら、
ちょうど昼休憩中で1時間ぐらいしないと開かないことが判明。
ここで1時間待つか、先を急ぐかで押し問答があった末、
見るのをあきらめた。
バスに戻るまでの間に、櫛を売っている店があった。
「この櫛はここでしか買えない」と教えられたので、店に入った。
櫛屋の店主が1人1人の髪を見て、その人にぴったりの櫛を選んでくれる。
そして、その櫛を使ったマッサージの方法も教えてくれる。
きゅーchanの団体のメンバーのうち数名が購入した。

バスに戻ると、もう昼時。
でも、きゅーchanは朝食をめっちゃ食べたから、あまりおなかすいていないなあ。
昼食は、高速のサービスエリアで自由にとることになった。
きゅーchanが選んだのは、普通のハンバーガー。
(辛いのが大丈夫な人に、先に試食してもらってから購入)
昨日の夕食から食事運が上向いてきたな♪

食事が終わると、またバスで移動。
今日は移動時間が多いな。

朝鮮の寺院を回ると、至るところに「壬辰倭乱(文禄慶長の役)で燃えた」とかいう記述があるが、
次に行った晋州城は、壬辰倭乱で激しい攻防があった場所である。
1592年10月は豊臣秀吉の命により出兵した日本軍が、
晋州城に立て籠もる朝鮮軍を攻めたが突破できなかった。
しかし翌年6月の戦いで晋州城は陥落し、城の中の朝鮮軍は全滅してしまったという。

  
左側の写真は、晋州城のなかで現在建っている建物のなかで1番大きいもので矗石楼(チョクソクル)という。
戦時には主将が指揮する場所として使われたそうだ。
現在の建物は1960年に再建されたものだから、まだ新しいね。
矗石楼に上ると視界が開け、素晴らしい眺望が広がる。
右の写真は矗石楼より撮った風景。南江がゆったりと流れている。


今日は、本当に快晴で、気温がぐんぐん上がっている。
晋州城の敷地は結構広くて、真夏のような日差しが照りつける中、歩いていると、
みんな無口になってしまった(笑)

晋州城の一角に、秀吉の朝鮮出兵に関する資料を展示している国立晋州博物館がある。
“日本を非難し、朝鮮を勝利に導いた人を讃える展示なんだろうな”
と思いながら 入館したんだけど、少し印象が違った。
確かに、この戦いで活躍した朝鮮の義兵や女性などを英雄視しているけど、
日本側も、戦いの途中で補給路を絶たれたため、
餓死するなど悲惨な状態になっていたことを述べていた。
当時、アジアで活動していた宣教師の記録も使っており、
中立な立場での展示を目指しているんだなあと感じた。
秀吉の朝鮮出兵による戦いの評価については、
朝鮮は焦土と化し、出兵を企てた豊臣政権は滅び、
中国の明は朝鮮への援軍を出したことで国力が衰え清に取って代わられたので、
誰も得るものがなかった戦争、「無意味な空しい戦争」だったことを主張していた。

晋州城の見学を終える頃には、陽がだいぶ傾いてきた。
時間があれば、倭城へ行こうって言ってたんだけど、
もうそんな時間はないので、あとは釜山へ戻って泊まるだけ。
今回の旅行の名所・旧跡の観光はこれでおしまい。淋しいなあ。

夕方、釜山に着き、ホテルにチェックインした。
女性4人でファミリールームという部屋に泊まる。
部屋は広いし、4人なら余裕だな。
と思いきや、寝具が2セットしかない!!
フロントに「布団、あと2つ出して」と言ったら(ここのホテルも日本語が通じた)、
「ファミリールームは1つの布団に2人で寝ることになってるので、
追加で出すことはできません」と言われた!
韓国では家族は同じ布団で寝るらしい。
え〜、でもこの布団狭いし、
きゅーchanは寝てる間にゴロゴロ動き回るので、
2人一緒に寝るのは無理だよ〜。 とダダをこねて、
新たに洋室の部屋をとってもらった。
こちらは、2人部屋でちゃんとベットが2つある。よかった!
教訓!韓国では、ファミリールームをとってはいけない。

おみやげ購入タイムのあと、
夕食を食べに釜山の町へ繰り出した。
今日は、焼肉だー♪

焼肉屋さんに入ると、日本人の団体客がいた。
あちらさんは、きゅーchanたちを見て、「何の団体だろう?」って噂していた。
で、あちらさんが帰るときに若干からまれた(失礼な品格のない日本人だ!)

韓国は豚の焼肉が中心ということなので、
豚をオーダー。肉厚でおいしいよー!
余分な油は焼くときに落としてくれるので、思うよりヘルシーなんだろうな。
野菜もいろいろ付いてるし、肉オンリーの日本の焼肉より健康的。
ここで、韓国焼酎が登場。
味見のつもりで飲んでみると、くせは多少あるけど結構おいしい。
「百歳酒」っていう高麗人参が入ったお酒なんだって。
(ということを、帰国後知った。普通の焼酎と思って飲んでいたので。)
ちょろちょろ飲んでるうちに、お酒に弱いきゅーchanはゆでだこみたいにマッカッカ!

焼肉屋さんを出て、少し歩くと海辺に辿りついた。
釜山って、こんなに海に近いんだー!
高いビルが林立していて、海が全然見えないもんだから、
急に海が現れた感じがして、驚いた!
波の音や海風が心地いい!
釜山の街の灯りに浮かび上がる海辺を見てると、リゾート地に来たような感じがする。

ビーチで酔い醒ましした後は(きゅーchanは酔いが醒めなかったという噂も・・・)、
ホテルの一室に集合して、2次会を開き、お酒を酌み交わした。
2次会もお開きになったあとは、
きゅーchanの部屋で院生の女の子どうし語り合って、
韓国最後の夜を惜しみながらも、満喫できたよ。






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