きゅーchanの
  中 国 旅 行 記



★ 2日目 ★

昨日は疲れていて、ホテルに着いて、お風呂を済ますとすぐ寝てしまった!
同室のOさんが「話してて返事返って来ないと思ったら、もう寝てた」
と言っていた(笑/すいません)
ホテルは、日本のホテルと比べても、遜色がない感じ。
ホテルは寛げるわ〜。きゅー!

朝起きて、カーテンを開けると、そんなに遠くない場所でも霞んでいて、見通しがあまりきかない。
気のせいかもしれないけど、空気がなんだか黄色っぽい。
これ絶対黄砂だよ〜。ホテルのある鄭州は黄河から10キロほどしか離れていないそうなので、
黄砂がまともに飛んでくるんだろうな。

朝食はバイキングで、普通の洋食のパンもあったので、洋食中心のメニューで構成してみた。
パンの種類がいろいろあったので、いっぱい(5つぐらい?)取ったら、
メンバーの方に「朝からよく食べるなあ〜!」と呆れられてしまった。そして完食!

今日は、比較的ゆっくりできる行程ということで、朝9時にホテルを出て、バスに乗り出発!
ホテルのある鄭州から1時間半ぐらいかけて開封という街に向かう。
鄭州から開封までは片道3車線ぐらいの幅広い道路で結ばれているんだけど、
進んでいくうちにだんだん靄がかかってきた。
ついには、前を走ってる車も見えなくなっちゃった。
でも、中国の車はそんなにスピードを緩めることはなく、
交差点を通るときにはクラクションを鳴らしながら通るという、
あくまでも“攻撃的な運転”でどんどん進んでいく。
靄は減ったけど、黄色い空気はそのままで目的地の開封に入った。

バスは中華街のような派手な門をくぐっていき、その後、間もなく宋都御街のに到着。
宋は960年に建国し、この開封を首都とした国で、
そのときの繁栄ぶりは『清明上河図』に描かれている。
宋都御街はその図に描かれた建物を復元して造った街なんだって。

宋都御街のなかで一番目を引く建物で「樊楼(はんろう)」。
北宋随一と言われた豪華な料亭だったそうだ。


宋都御街の建物の中には、色々なお店が入っている。
一番印象に残っているのは刺繍のお店。
掛け軸サイズぐらいの大きな刺繍の作品がいっぱい!
色糸の使い方がうまく、グラデーションも自然で、
ちょっと離れて見ると、本当に絵が描かれているみたい。

宋都御街の奥には龍亭公園がある。
宋・金代の皇宮の御苑だった場所だ。
門をくぐると、湖が広がっていて、湖には龍の船が浮かんでいる。
その湖を突っ切るように真ん中に歩道があり、歩いていくと朝門・中門がある。
朝門の脇には宋代の開封の街を表した模型がある。
模型を見ると、街中建物だらけだよ。
宋代には人口100万人ぐらいの都市だったそうだ。
繁栄してたんだね♪
中門を抜けると、目の前に龍亭大殿がド〜ンと現れた。

左:龍亭大殿。72段の石段(この石段は映画『少林寺』に登場したそうだ)の上に建てられている。
登ってみたら、風がビュービュー吹いてて寒かった!
晴れている日なら見晴らしがいいだろうな。


龍亭大殿の石段の脇の建物では、宋の皇帝と家臣を題材にした劇が行なわれていた。
写真は建物の方へ入っていこうとする家臣たち。
重厚な衣装だな〜。
建物の中は黄色を基調としたきらびやかな舞台になっていた。
中国語が分からないきゅーchanは、話の筋が分からなかったので、
ちらっと見ただけ〜。


土産物を見た後、バスに戻り、席の暖まる間もなく次の目的地翰園碑林に到着。

建物の壁に書が記さした黒板が埋め込まれている。
「碑林」っていうから、石碑が林立してるのかと思ったら、違うんだ〜。
書も近年の作品が多く、ちょっとがっかり〜。


翰園碑林の建物の前にも、湖が広がっている。
と思ったら、龍亭公園の湖と同じ湖なんだー。
湖の対岸に移動しただけだったんだね。
翰園碑林はさささーっと見て、またバスに乗って移動だ。

開封の旧市街に入っていくと、沿道の建物の雰囲気がガラリと変わった。
それまでは、キレイな大きな建物が中心だったけど、
旧市街はレンガ造りの背の低い建物が立ち並んでいて、
レンガが崩れかけているところさえある。
でも、人々の往来は多く、活気はある。
下町的な感じなのかな?

続いてバスが止まったのは鉄塔公園の駐車場。
公園の入り口からは鉄塔は見えない。
どこにあるんだろう?
歩いていくと、200メートルぐらい向こうに鉄塔を発見!

鉄塔

鉄塔は正確には「開宝寺塔」という。
6世紀、この地に「独居寺」というお寺が創建され、
その後、唐代に封禅寺、宋代に「開宝寺」と改名したそうだ。
塔は10世紀終わりに建築設計家の喩浩(ゆこう)によって建てられたが、
1044年に焼失。そして北宋代の1049年に再建された。
8角形、13層の塔で、現在の地面からの高さは55.8メートル。
でも元々はもっと高い塔で、
黄河の氾濫により根元のほうが8メートルも埋まっているんだって。


鉄塔の表面。
仏像や獅子などが彫りこまれた瑠璃瓦のタイルに覆われている。
それにしても、一枚一枚のタイルの細工が細かい!
この瑠璃瓦が褐色で、鉄の色にみえるので「鉄塔」と呼ばれている。


鉄塔の中には階段があって、登れるらしい。
折角だから、登ってみよう!
鉄塔の中に入ると、まず急勾配で狭い階段がある。
いきなり息が切れる!
それを登ると、らせん状の階段が続く。
階段の幅はさらに狭くなって、人一人がやっと通れるぐらい。
急勾配なのは相変わらずで、段によって段差が違ったりするから、
かなり苦戦しながら登っていった。
しかも、階段は真っ暗で、時折空気穴のような窓があるだけ。
その窓からの明かりで、どうにか足元が確認できる。
塔の中ほどぐらいまで登ったのかな?
そこで、行き止まり。
懐中電灯の光で確認すると、
行き止まりの壁には仏像のレリーフがはめ込まれている。


鉄塔のらせん階段の突き当たりにある仏像のレリーフ。
真っ暗のなかで撮ったんだけど、その割にはよく写っている♪


さて、見終わったから降りよう。
登りも大変だったけど、下りはもっと大変!
きゅーchanたちのメンバーは団体で登ってきてしまったため、
すれ違いも出来ない階段で右往左往。
窓の窪みに身を屈ませている間に、別の人が横をすり抜けて・・・
そのとき、下から「中国人の団体が来たよ!」という声が!
間もなく、中国人の方々が狭い階段を猪突猛進で登ってきた!
きゅーchanたちが居ても、関係なし!って感じで追い越していく。
きゅーchanたちは突き飛ばされないようにするのに必死だ。
そのあと、無事に脱出!でも、もう足がガクガクだ〜。

きゅーchanより後から登ったメンバーの方は、
「中国人が塔の中でお祈りを始めたから、突き当たりまでは行けなかった」と言っていた。
本当に中国人はすさまじいなあ。
もうちょっと譲り合いの精神を持っていただきたいものだ。
でも、そんなもの持ったら、中国では生きていけないんだろうな。

鉄塔公園には、ろう人形を使った展示もある。
塔を設計した喩浩や、開宝寺に住したという日本の天台僧・成尋が展示されていた。
成尋は天台山巡礼のために中国に渡ったんだけど、
雨請いの祈祷の効果があまりにも絶大だったため、北宋の皇帝に気に入られちゃって
日本に帰国できなくなってしまった坊さんだ。
だから、今でも敬われているんだろうな。

続いては、これまた開封の旧市街にある相国寺に行く。
このお寺は555年に「建国寺」という名で創建され、一旦水害で廃れたあと、
唐代の712年に「相国寺」として再建された。
北宋のとき、開封が首都になったので、相国寺も繁栄したそうだ。
でも、明代に黄河の氾濫が起きたため廃墟になっちゃったらしい。
で、清のときに再建して今に至る。
開封の街は黄河の氾濫の影響がとても大きかったんだね〜。

相国寺は大門・天王殿・大雄宝殿・八角瑠璃殿・蔵経楼が一直線に並ぶ構造だ。

八角瑠璃殿の中に千手千眼観音があった。
四面あるからどこから見ても千手観音の正面だ。
一本のイチョウの木を彫って作ってあるんだって。
この四面の千手観音は5メートルぐらいあって迫力あるよ。
しかも、手の形はは1つ1つが微妙に違う。



一番奥の蔵経楼の左脇にある大師堂。
空海も相国寺に滞在したことがあって、
大師堂の中に空海像が置かれている。
屋根に雑草が生えちゃってるんだけど、もしかして放置されてる???


お寺の間口はそれほど広くなかったので、
そんなに大きい寺ではないのかなと思いきや、
奥行きが長く、境内は結構広い。
境内を歩いていると、お寺の中を坊主頭の少年の集団が走り抜けて行った。
このお寺で修行している坊さんの卵たちなのかな?

またバスに乗り、開封の城壁跡などを車窓から眺めつつ、移動していると、
(My Teacher)「あそこ寄ろう!」
ということで、観光地が急遽追加された。
包公祠というところで、
中国人はよく行く観光スポットらしい。
北宋の官僚であった包拯を祀った祠。
包拯は中国人の中でめちゃめちゃ有名な人で歴史上のヒーローらしい。
立派な官僚で、包拯が主人公となっている物語も多くあるそうだ。


包拯像。
包拯が登場する資料の展示もあるよ。
包拯の人生の名場面を表現した蝋人形も。


包公祠の周囲は池を巡らした庭園になっていて、
“ここでゆったりしたら気持ちいいだろうなあ”と思ったけど、
きゅーchanたちはハードスケジュールな旅の途中。
急いでバスに戻る。
もう3時ごろで今日一日終了かなってモードなんだけど、
これから開封を出て、朱仙鎮までバス移動だ。

開封の旧市街は、道が狭い上に、
凸凹道で道端に駐車している車も多く非常に通りづらい。
道の真ん中に人だかりができてるなあと思ったら、事故らしい。
人身事故で救急車まで出動している。
今日1日だけで、事故を3回目撃したよ。
中国人は、車も歩行者も自転車もみんな我先に行こうとするからなあ。
大阪人のきゅーchanでも、中国は怖いも〜ん。

一時間ぐらいで、朱仙鎮の岳飛廟 の門前に到着。

岳飛廟の門
もう少し下がって撮ったほうがよかったんだけど、
交通量の多い道に接していたのでこれが限界。


岳飛廟は南宋初期の武将であった岳飛を祀っている。
岳飛は、金が宋を脅かしてきたときに戦おうとしたけど、
和平派の秦桧によって獄死させられた人だそうだ。

門をくぐると、正面に異様な銅像数体が目に入った。

みんな後ろ手に縛られて座らされている。
これは岳飛の獄死に関わった人たちで、秦桧やその奥さんの王氏などである。
首には名前と罪状が書かれたプレートが掛けられている。
よくみると、みんな裸だよ〜。
しかも前に鞭が置かれてるし。
ずっと昔の出来事なのに、その恨みはずっと伝えられているんだね。
なんか背筋がぞわ〜ってするぐらいの怨念を感じる。


周囲の建物には、岳飛の家族や岳飛に従った有力な軍人の蝋人形が飾られている。
しかし、中国は蝋人形を使った展示が多いなあ。

今日の行程が終わり、また来たときの道を戻っていく。
連泊のため、昨日と同じホテルへ向かう。

  
中国の信号機。矢印信号と信号が変わるまでの秒数が表示されている。
左が進め。右が止まれ。
信号には太陽電池のパネルが取り付けられているのもたくさんあったよ。
環境にやさしいんだね。日本でも導入したらいいね〜。


ホテルに入る前に、夕食を取るため中華料理屋に入る。
夕食は、またまた円卓での中華料理。
なぜか、おかずの前に巨大ボールに山盛りにしたご飯がやってくるんだよね〜。
大量のあまりおいしくないであろうご飯をみると、
食欲が減退しそうな気がするので、後で小分けにして持ってきていただきたいものだ。
今日は、8年ものの紹興酒をオーダーして、味見をすることに。
黒糖みたいにとろっとしていて、それでいて芳醇でまろやかで上品な味だ〜。
でも、中国人は紹興酒をあまりオーダーしないらしく、
注文をすると店員さんが戸惑っていた。

今日の行程はラクだと聞いてたけど、結構ハードだよ。
特に、鉄塔を上ったのが効いたのかな?足はガクガクしているし(笑)
昨日と同様、ホテルに入ったらすぐ寝てしまった。



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