きゅーchanの
  中 国 旅 行 記



★ 4日目 ★

もう旅の行程も大詰。
今日は朝から、きゅーchanが一番楽しみにしていた龍門石窟に向かう。
ここは世界遺産に認定されているところだよ♪

バスでしばし移動すると、龍門石窟の駐車場にすぐに到着!
ここからカートに乗って、龍門石窟の入口まで移動する
道の脇には川が流れていて、朝靄で煙っていて、ちょっと幻想的な世界。

龍門石窟の入口の脇にある橋を撮ってみた。
この川沿いに龍門石窟が広がっている。


龍門石窟の入口である石造りのゲートをくぐり、しばらく歩くと、
視界が開け、穴だらけの岩が見えてきた!

大きな岩の至るところに、穴!穴!穴!
この岩は彫りやすいんだろうね〜。
小さな穴でも中に仏像がいてる。
でも、観光客がよく通るところは、
仏像が盗られちゃったり壊されたりしているものが多いなあ。


賓陽三洞のうちの真ん中にある賓陽中洞。
洞穴を穿ち、そのなかに彫刻された仏像がある。
賓陽中洞は523年に完成。
真ん中の釈迦牟尼坐像は高さ8.4メートルもあるんだって。
北魏の仏像の特徴である面長痩身タイプで日本の飛鳥仏に似ている。
その左右には菩薩・仏弟子、前方左右に獅子が配されている。
天井や壁にも彫刻や装飾が施されていたんだけど、写真では確認できないなあ。


万仏洞。
680年の記銘があるそうだ。
洞の側面が凸凹しているのがわかるかな〜?
そこには15000体もの小さな仏様がずら〜っと彫られているんだよー。
天井の彩色もちゃんと残っていて、キレイ!


蓮華洞。北魏時代の造営。
この洞の名前の由来になっている天井の蓮華の浮き彫りが特徴。


  
龍門石窟のなかで最大規模を誇る奉先寺洞。
唐代の675年に作られた。
中央の盧舎那仏坐像(写真右)は高さ17.14メートル。
頭だけでも4メートルあるんだって!
盧舎那仏の左右には仏弟子・菩薩・天王・仁王がいるんだけど、
大規模すぎて、写真に納まりきらなかった。

ガイドブックの写真で、奉先寺洞が大きいことはわかっていたんだけど、
盧舎那仏の前に立って、脇の仏様や力士像に囲まれると
全身がぞわ〜ってするぐらいの迫力がある。
(ガイドさん)「これは日本の東大寺の大仏のモデルとなった仏像です。
日本から派遣された遣唐使がこの仏像を見て、これに似た仏像を東大寺に作りました。
でも、龍門の仏像のほうが東大寺の仏像より大きいです。」
へぇ〜!!!じゃ、遣唐使が見た仏像をきゅーchanが今見てるんだ!
すごすぎて、きゅーchanの中の時間軸がおかしくなりそう!
この奉先寺洞の仏像に圧倒されて、しばらく立ち去れなかった。

感動の余韻が残るきゅーchanを引き連れて、
バスは次の目的地洛陽博物館に移動。

洛陽博物館の正面。
重厚な建物だ。

まず、入口で洛陽城の説明をガイドさんから受ける。
城と言っても1つの都市で、都市の周りを城壁が取り囲んでいるのだ。
これから行く白馬寺がある地域の“漢魏洛陽城”や
この博物館の周辺であった“隋唐洛陽城”などがある。
一口に“洛陽城”って言っても時代によって場所が動いてるんだね〜。

この博物館は褐色・緑・黄色が基調の唐三彩のラクダ・馬が有名。
  
左は唐三彩の馬と従者。
えらい物言たげな馬だなあ。
右は、この博物館できゅーchanイチオシの展示物!
“何だ!この躍動感!”
と思ったんだけど、きゅーchanの写真の腕がイマイチで、
その躍動感が伝わらなかった。残念!
唐代に作られたもので、隋唐洛陽城の東北部の墓から出土したもの。


洛陽博物館の敷地のなかに桃太郎が!
洛陽市と岡山市は友好都市になっていて、
岡山市から贈られたものだそうだ。

続いて勉強したての隋唐洛陽城の遺構を巡る。
まずは周公廟・応天門遺址

周公廟の門の脇では、洛陽市民が青空マージャンを繰り広げていた。
これも中国の風習なのかな?と思い、一枚パチリ!


周公廟の建物の横にこの東屋のようなものが建っていた。
この真ん中に碑が立っているんだけど、
これが「日本国遣隋使遣唐使訪都之地」と書かれている。
奈良県橿原市から寄贈されたものだそうだ。
この建物の背後に写っているのが応天門遺址の一部分。


洛陽城の南の門である応天門の東北の基壇の一部。
ジグザグに折れ曲がっていて「三出闕」という様式の壁だそうだ。
この基壇の上に上がることができて、上からは洛陽の街並が見える。

このあと、隋唐洛陽城の城壁が残っているところなどを案内してもらったけど、
写真を載せても、ただの土手にしか見えないので省略。
隋唐洛陽城の城壁は東西南北それぞれ7キロぐらいあったそうだ。
今残っている土手の高さでも背丈よりも随分と高いから、
とてつもなく高い壁が洛陽の町を取り巻いていたんだね〜。
なんか息詰まりそう。

その後、日本と縁が深い洛陽の寺に行くことになった。
狭い路地の前でバスが停車。
狭すぎてバスが通れないので、歩いてお寺に向かう。
裏道を歩くのって、なんか楽しい♪
整備されてない凸凹道をみんなで連なって歩いていく。
すぐ横に家畜のヤギがいたり、生活感溢れている道にテンション上がる!
はしゃいでいたら、バイクや小型車がクラクションを鳴らしながら、
スピードを上げてすり抜けていく。
こんなところ、普通の観光では絶対通らないよね〜♪

徒歩数分で大福先寺に到着!
ここは鑑真を招来した遣唐使の栄叡・普照が逗留したところ。
井上靖の小説『天平の甍』の舞台となった場所だそうだ。

大福先寺に掲げられている扁額。
日本の高野山と交流があり、この扁額も高野山から贈られたもの。


大福先寺のなかの殿舎の円覚殿。
小ぢんまりしたお寺だけど、立派な建物だなあ。

続いて、漢魏洛陽城の地区に移動。
白馬寺は後漢時代の西暦68年に建立したと言われ、中国最初の仏教寺院と伝えられる。

白馬寺門前の馬。
宋代に造られたもので、前から見ると、ちょっと抜けた顔で愛らしい。
その背後に写っているのが、白馬寺の山門。
白馬寺の建物は明清時代に再建されたものだけど、
山門のレンガの一部は、漢代のものが今も使われている。

白馬寺は山門から中軸線上に
天王殿・大仏殿・大雄殿・接引殿・清涼台・毘盧閣が並んでいる。
いずれも明清時代の再建されたもの。

大雄殿。
間口が広いので、写真に納まりきれなかった。
中央では2人の中国人が参拝中。


空海の銅像。
清涼台の西側に立っている。
空海は留学の道中に白馬寺に滞在したことがあったそうだ。
この銅像は中日友好を記念して愛媛県が寄贈したもの。

白馬寺の数百メートル先に塔らしきものがみえた。
これは斉雲塔という名で、 1175年に建立されたものだそうだ。
でもきゅーchanが見たときは工事中で足場が組まれた状態だった。

白馬寺の観光が終わり、バスに戻る途中、土産物を物色。
でも、みんな急ぎ足でバスに戻っちゃう!
わ〜、置いていかれる〜!という中で、急いで土産をゲット!

これで、観光は終了!
ホテルのある洛陽の中心地に戻る。
ところが工事中の道が多く、舗装が剥がされた上を走るので、バスが揺れる揺れる!
そんなに距離はなさそうだったのに、移動に結構時間がかかった。

夕食は、今日も洛陽を案内してくれた日本人の先生と助手の方と一緒に。
人数が多いので、2つのテーブルに分かれた。
きゅーchanは学生たちのグループで気兼ねなくお食事。
こうやって、中国で夕食を食べるのは最後なんだなー。
でも、毎回同じようなメニューが出てくる中華料理は飽きてきたから、もういいな〜(笑)

中国での最後の晩なので、ホテルに戻ってから2次会が開かれた。




◆ 5日目のレポ ◆に進む

中国調査旅行の行程表に戻る

きゅーchanのほーむぺーじに戻る

This page is produced by Yuko Nakai.

Mail address: kyuukyuu-lj@infoseek.jp
inserted by FC2 system