A LIFE OF 後 醍 醐 天 皇



3.皇太子時代




@ 尊治くんの男女関係

 皇太子に決まったことだし、やれやれ。後は花園天皇が退位するのを待つのみ。表向きは持明院統と大覚寺統、交替で即位しようってことになってて、10年ごとぐらいに変わるっていうのが暗黙の了解。予定通りだと、31歳で即位だ。

 ここで、政治関係の話はちょっと置いて、恋愛話をば致しましょう。もちろん、尊治くんは既に女性関係を持っている。しかもやばい関係ばっかり。まず兄・後二条の側室である藤原為子。お兄さんがまだ生きているときに奪ってしまったのだ。でもお兄さんは温厚な人なので、大きな問題にはならなかった。それから、父・後宇多の側室にも手を出す。遊義門院一条と言われた人で西園寺家の女性。後宇多との間で子供も作っていた。いくらなんでもそれはやばいでしょう。このときは亀山が死んでいたので後宇多が大覚寺統の総領なのだ。その人の機嫌をそこねることをしては…。周囲の心配をよそに、これと同時期に、なんと祖父・亀山の側室の民部卿三位を迎え入れた。これには物分りのよい当時の人も驚く驚く。女性の方が少なくとも15歳は年上!なんかコワーイ感じもする。そしてそして、やっぱり同時期に後宇多に仕えたことのある女性・従二位大納局を手に入れる。こちらも15歳は年上!想像すると、ウッ寒気がー。尊治くんは著しく年上好みなのか?う〜ん。そしていずれの女性も尊治くんの子供を生んでいる。藤原為子は尊良親王・宗良親王など2男1女、遊義門院一条は世良親王を始め2男1女、亀山の側室・民部卿三位は護良親王など2男1女、従二位大納局は1女を儲けている。既に子沢山。祖父の亀山は23人以上を妻とし、30人以上の子供を作ったという。尊治くんはおじいさんに似てしまったのかもしれない。しかしなぜ身内の人の女性を好きになるのか。他の女性もいっぱいいると思うんだけど…。



A 西園寺禧子略奪事件!

 皇太子になってから、超有力貴族の西園寺実兼さん(西園寺家については
1.後醍醐天皇誕生前の朝廷をみてね)の末娘・禧子のもとに通い始める。皇太子になったら気ままに外へ出歩くのは難しいと思うんだけど。尊治くんは要領よかったんだね。

 禧子は末っ子なので実兼さんにとってもかわいがられていた。年ははっきりとはわからないが、10代前半だったようである。ちなみに尊治くんは26歳だから、今度のお相手は10歳以上年下である。

 尊治くんは禧子の部屋へ実兼さんに見つからないように忍んでいく。そういうスリル感が良かったのかも。そして正和2(1313)年の秋ごろ、西園寺さんの屋敷から禧子を連れ出してしまう。大胆不敵だー!もちろん実兼さん大騒ぎ。当時の天皇である花園天皇も日記に書きとめるほどの大騒ぎ。皇太子尊治くんが連れ出したとは全く思い至らなかったようで、四方八方探しまわったけど見つからない。もうあきらめモードに入りつつあった翌年の1月に発覚。このとき禧子は既に妊娠5ヶ月だったそうだ(ちなみにこの子は女の子でした)。発覚した当初、実兼さんは激怒したと思われるが、「相手が皇太子なら玉の輿かも」と思い直す。そして「尊治くんを天皇にすれば禧子を皇后にしてくれるだろう」ということで実兼さんは尊治くんを天皇位につけるべく暗躍し始める。

 でもこの禧子略奪事件って、どこまでが恋愛でどこからが政治活動なのか皆目分からない。皆さんどう思います?







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